<これも愛情表現>





 頭上をゆっくりと流れていく筋のような色の薄い雲を、なんとはなしに見上げていた。
 今にも空の青色に溶け込んでしまいそうな雲の白色。
 そんな空が始祖の隷長の半透明の身体を透して見えるから少しだけぼやけて滲んで見えた。



 クリティア族に受け継がれている伝承の事実に誰もが動揺と困惑を隠しきれていなかった。
 特にエステルは飛び出していったきり、いまだに戻ってくる気配がない。

 つぃと視線を落とし、零れ落ちてきた髪を耳の後ろに引っ掛けて、その手で頭を掻いた。

 エアルをどうするか魔導器をどうするかリタが色々いっていたがどれも今の時点では手掛かりもなくまるで雲を掴むよりも難しい話の雰囲気だった。
 そして結局、話題に行き詰まり重たい空気が流れる。

 さてどうしたもんかな、と思考しつつふとおっさんを盗み見て、オレは一瞬だったがざわりと嫌な予感がした。

 やけに据わった目。

 その目はオレ自身とても身に憶えがあるものだった。

 思わず声を出そうとしたが、それよりも先におっさんが立ち上がり部屋を出て行ってしまった。
 その時におっさんはオレと目を合わせようとしなかった。
 それが意味するところに気付いたのは、エステルとおっさんの姿が消えてからだった。

 なぜレイヴンが…!と騒ぐ年下のガキんちょ共を表面上では軽く受け流していたが、内心ではオレの動揺も激しいものだった。

 手が震えるのを掌を握り締めることで抑え唇が震えそうになるのを強く噛み締めることで抑えていた。





「ユーリ…?」

 控えめな小さい声で名を呼ばれ、オレは今フレンと話していたのだったということを思い出した。

「あぁ、悪い。ぼーっとして――-」
「血が出てしまっているよ」

 そんな台詞と一緒にグローブが外されたフレンの指先がオレの口元に伸びてくる。
 ほぼ反射だった。
 気遣うようにそっと近付いてきた手を乾いた音を立てて跳ね除けてしまった。
 フレンが軽く目を見開いてもう一度オレの名を呼んだ。
 拒絶したオレもなぜフレンの手を避けたのか分からなくて瞠目していた。
 悪い、という短い謝罪の言葉すら浮かんでこないほど、思考は回っていなかった。
 ややあって、フレンがふっとため息を吐いた。

「キミらしくないね」
「……オレらしいってのは、どんなんだよ」
「皮肉屋で若干大人げなくて、だけど困っているひとを放っておけず自分の正しいと思ったことは例え法に触れてでも貫き通す」

 それが僕の知るユーリ・ローウェルかな。さらりといってフレンは珍しく悪戯好きのガキみたいな笑みをみせた。フレンのあまりの言い草にオレも苦笑した。

「…酷ぇいい様だな」
「事実だろ」
「まあ、否定は出来ないなあ」
「どうかしたのかい?」
「いや…」

 オレは一瞬、言葉を区切り静かに続きをまってくれているフレンをちらりと見てから再び続けた。

「お前は仲間に裏切られたらどんな気分だ」
「ショックで絶望するだろうね」

 迷い無い答えにやはりそんなものか、と思いながらそうだよなあ、と声に出す。オレもそこそこ打ち解けていだろうと信頼しはじめていた矢先の出来事だったからショックが大きかった。裏切りという行為に絶望した。ただそれとは別に胸の奥に痛みを感じた。
 重く鈍く響く慣れない痛みだった。はじめての知らない感覚。

「痛いな」
「そう、だね…。僕もショックだった」

 フレンが辛そうに目を伏せて呟く。あぁ、そうかフレンも尊敬していたアレクセイに裏切られてオレと同じ思いをしているんだ。
 でも、オレもフレンもここで打ちひしがれている場合じゃないんだ。

「悪い、くだらないこと訊いたな」
「いや…」
「フレン無理するなよ」 
「それは君もだよ」

 気を付けて。フレンはそういって部下に命令を飛ばしはじめた。すぐにしゃんと背を伸ばして切り替えて動くフレンに流石だな、と感心しつつオレも待ってくれているみんなの元に戻った。



*      *     *



「…青年?」
「あ?あぁ、悪い、ぼーっとしてた」
「流石の若人もお疲れ気味ですかい」
「年寄りと一緒にすんな」
「あら、ひどーい」

 けたけた笑って軽口を叩いてくるおっさんに同じように軽口を返して俺は地面を踏みしめる。
 ざり、と靴底で砂が擦れる感触と音がする。

「おいおっさん」
「うん?なによ」

 オレの呼びかけにすぐにこちらを振り返ったレイヴンの顔面へ躊躇いなく拳を叩き込む。おっさんは殴られた勢いのままに仰向けに引っくり返って倒れこんだ。
 オレの突然の行動に他のみんなも唖然としていた。
 殴りつけた左手を軽く振って目をぱちくりさせて呆然としているレイヴンを見下ろしながらオレは口端を持ち上げた。

「ツケだよ」
「は?つ、ツケ…?え、なにどういうこと」
「今までの分。これでチャラ…までとはいかないか」
「青年、おっさんまじで理解不能なんですけど」
「気にするな」
「いやいや普通気にするでしょっ」

いきなり殴られたんだから説明の一つでも欲しいわっ!くっきりと拳のあとが残る顔面を押さえて若干涙目のおっさんにオレは視線を外して小さく笑った。笑い事じゃないから!とすかさず突っ込んでくる声を適当に聞き流して空を見上げる。

「……いやあ、おっさんサンキューな。いい気晴らしになったわ」
「はぁ?気晴らしって…。おっさんは青年のストレス発散道具じゃないんですけど」
「そうだったか?まあ、気にすんな」
「だから、気にするって」

 本気で泣き出しそうなレイヴンにオレは悪かったと詫びて、起き上がるのを助けるために右手をさし伸ばす。レイヴンは文句をいいながらもオレの手を極自然に掴み返してきた。
 そのぬくもりにオレは相手に気付かれない程度に目を細めた。



 手放したくないと思った大切な―――















多くを語らずに拳一発で愛情表現。それがユーリ流だと信じてる。

2009/04/08