<ロストワールド>





 久しぶりの休日に、思い立って馴染みのユーリに逢おうと彼の部屋を前に僕はひとり、あれ?と首を傾げた。
 室内から感じる違和感あるひとの気配。これは間違いなくユーリものではない。
 ドアノブに手を伸ばした姿勢のまま僕は全神経を研ぎ澄ます。室内のいる人間が不意に襲い来るとも分からない。
 ドア越しの気配も息を潜めたようにひっそりとしている。しかしピリピリと微量の殺気も伝わってきた。警戒すると同時にこちらに気配で圧力を掛けてくることから実力はそこそこありそうだ。
 僕から扉を開け放って相手に斬りかかるという手段もある。だがそうするよりもまずは事情を訊くのが先決だ。
 僕は一度咳払いをしてから口を開いた。

「中にいるのは誰だ」
「……」
「ここの住人は僕の知り合いで、今は空けているはずだ。…答えないのなら―――」
「すまない、どうも意識がぼんやりしていたみたいだ」

 台詞を遮る形で届けられた相手からの返答に眉をひそめる。どういうことだろうか。
 腑に落ちない言い分にさらに問い詰めようとした矢先、内側からドアノブが回され相手が姿を現した。
 声音からして若い男性であることは既に予測できていた。
 僕よりもほんの僅かに身長が高く、夜目にも目立つ淡い金髪と深みのある青い瞳。
 つい先ほどまでの殺気立った気配が消えた彼はどこか困ったように眉尻を下げた顔をしていた。
 風貌もそうだが、身なりも悪くない様子からして空き巣など犯罪を犯しそうなひとには見えない。ということは、先の言葉は本当なのだろうか。

「えぇと…。なぜ無断で他人の部屋に入ったりしたのですか」

 判断しかねた結果、詰問調から敬語になってしまった。相手は少しだけ迷う素振りのあとに笑みを繕ってみせた。

「酒を呑んで宿に戻ったつもりが、どうやら間違えてここに来たみたいだ」

記憶にないくらいに酔っていたらしい、彼は続けてすまない、と頭を下げてきた。その殊勝な態度に僕は小さく息を吐いた。

「…お酒も程ほどにした方がいいですよ。身体にも良くない」
「あぁ、そうだな」

 僕の軽い小言に相手は苦笑を滲ませた。
 今回のことは大沙汰にすることも無いだろう。ユーリには一応報告するけれど彼のことだから差して気に留めなさそうだ。
 とりあえず一件落着し、ふたりで部屋をあとにする。
 階段を降りて水路の前の道を歩いて噴水のある広場まで来る。そこまできて、彼が(そういえば名を訊いてなかった)唐突に足を止めた。

「どうかしました?」
「あ、いや…」

 訊ねれば、青の双眸を揺らがせて僅かの焦燥感を見せる。どうにも様子がおかしい。なんだろう、この違和感は。
 空き巣でないのは真実だとしても、彼が泥酔するほど酒を呑んだという説明は疑わしかった。すぐに気付いたが彼から酒の匂いが全くしないのだ。酔って意識がなくなるほど酒を呑んでいたのなら、ちょっとやそっとの時間でアルコールは抜け切らない。あの場で言及する必要もないと思って流してしまったがやはり問うべきか。

「……ひとつ、訊ねてもいいかい」
「はい」
「ここは…どこだ?」
「帝都ザーフィアスですが…」
「ザー…フィア、ス」

 不思議な質問にさらに疑惑を膨らませながらも答えると、相手はさらに呆然とした表情になった。繰り返された調子からもザーフィアスを知っている風には感じられなかった。

「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ、すまない。記憶、が…」

 そこまでいった彼は不意に言葉を区切り、僕をちらりと見て情けなくも見える顔で笑った。

「記憶が抜け落ちてるみたいだ」

 笑い事ではないだろうに、笑いながら軽い調子で告げられる。僕は無言で彼を見つめていた。彼は軽い感じでいうことで、自身にも言い聞かせているようだった。
 とりあえず、僕には彼が自分自身の状況がどうなっているのか理解できていないことは分かった。

「宿の場所は憶えていますか?」
「分からないな」

 迷いの無い即答に僕はそれでは、と先を続けた。

「城へ行きましょう」



 僕の提案に彼はすんなりと頷いて大人しくついて来た。恐らく<記憶が無い>状況の中で僕に従うのが一番最善だと判断したのかもしれない。
 城に入って彼の事情を聞く為に聴取室に向かう。その間も始終無言でついて来ていた彼だったが、通路の曲がり角で僕がソディアと遭遇した時だった。とてもさり気ない所作だったが、僕とソディアから距離を置くように足を引いたのだ。目敏く気付いたソディアが射るような視線で彼を睨んだ。

「隊長、この男は…?」
「少し事情が複雑でね。これから聴取するところだ」
「そうですか。お一人で大丈夫ですか」
「心配ない、大丈夫だ」

 微笑んでいうと、ソディアがぱっと顔を赤くして一礼すると立ち去っていった。
 牢獄の手前にある小さな部屋に入り、彼に座るように促す。彼は礼をいって椅子に腰掛けた。僕も机を挟んで向かいに座る。

「さて、まずは自己紹介から。ぼく…私は帝国騎士団所属フレン隊隊長のフレン・シーフォです」
「…ガイ・セシルだ。極一般市民だと思う」
「思う、というのはその辺りの記憶もないんですか?」
「そうみたいだ。名前以外は自分の持っている情報が無くてね」

 眉尻を下げて笑う彼に、そうですか、と相槌を打つ。

「では自分がどこに住んでいたのかも分からないんですね」
「そういうことになるかな。…と、敬語じゃなくて普通に話してくれ。その方がキミをやりやすいだろう?」
「それじゃあ、お言葉に甘えます。…ガイは自分のこと以外本当に分からないのかい?」
「あぁ。さっぱりだ」

お手上げだな、そういいながらもガイはあまり今の状況をマイナスに捉えているように見えなかった。前向きな思考タイプなのだろうか。そんなことを考えていると、ガイの笑みが不意に苦いものに変わった。

「             」

 ぽつりと小さな呟きが聞こえた気がした。だがあまりにも小さすぎて僕には全てを拾いきれなかった。視線を向ければ、ガイは気にしないでくれという。
 とりあえず彼の記憶と知識がどの程度残っているのかを確認するために基本的なことから質問をはじめた。
 帝都ザーフィアスについては知らない。トリムも知らない。ギルドの巣窟―ダンクレストも知らない。魔導器も知らない。

「ブラスティア?」
「これのことだよ」

 僕が自分の武醒魔導器を見せると、ガイは急に瞳を輝かせて身を乗り出してきた。興味津々といった風だ。使い方は?と勢い良く質問されて僕が答える。

「エアルを利用するんだ」
「…エアル?」
「大気中にある、通常は眼に見えない物質のことで魔導器には欠かせないものなんだ」
「……なるほど」

 エアルも分からないとは、本当に記憶が無いらしい。
 それからいくつか質問を重ねたが、ガイは首を横に振るばかりだった。
 質問を終えて、彼の記憶が無いことは分かった。
 しかし居住地もなにも分からないとはどうしようもない。騎士団で調べるにしても数日は掛かるし…。

「君は剣を扱える?」
「どうだろうな、剣は持っているから使えるんじゃないか」

 ガイは首を傾げてからちら、と自分の腰に挿してある剣を見る。

「なら、身元がハッキリするまで僕の隊で働くかい?」
「それは願っても無い提案だ。よろしく頼むよ」

 これが全てのはじまりだった。















時間軸は本編より少し前くらい

2009/04/19