<傷跡>
周囲にたちこめる湯けむり。
上を見上げるとそこに広がるのは夜空に輝く満天の星。
湯の熱さと外気の温度差が心地いい、と。
レイヴンは湯に浸かりながらゆっくりと目を閉じる。その隣では同じように湯に浸かっているユーリが、星空を見上げていた。
カロルはつい先ほど「これ以上浸かってたらのぼせそう…」と言って上がっていったばかりだ。確かに、かれこれ30分近くは浸かっているかもしれない、などと考えながら。それでも2人が上がる気配はない。
「…おっさん、そろそろ上がらないとのぼせるんじゃねぇの?」
「そういう青年はどうなのよ?」
別に、意地を張り合っている訳ではないのだが。お互いどちらかが上がらないと上がりずらい。何だかそんな雰囲気だ。
湯は熱いが、浸かっていない肩や顔に感じるのは冷気。いつまででも入っていられそうな気になるのだから不思議だ。いや、それが露天風呂のいいところなのかもしれない。
だがさすがにそろそろ出ておかないとやばいかもしれない、と。レイヴンは湯船から出ると岩場へ腰かける。
……まだ上がる気はないようだ。
ユーリもそれに倣ってか、レイヴンと同じように湯船から上がると岩場へと腰かけた。2人とも足だけはまだ湯船に浸かっている。所謂足湯状態だ。
「何か上がるの勿体ないなぁ…って、思わない?」
「あぁ…わかる気がする。あと1、2時間はゆっくりしてたい。」
「だよね〜。露天風呂って不思議だわ〜。」
パシャパシャと足でお湯を蹴るレイヴンを子供かよ…などと思いながら見やると、不意に目に入る、傷跡の数々。
腕や肩や背中や…足のあちらこちらにも大きなものから小さなものまでたくさんの傷跡が残っている。
その傷は、今まで彼が過ごしてきた日々を物語っているのだろう。騎士団に入り、多くの任務や戦闘…人魔戦争に駆り出され。
その、全てが。彼の過去の全てがこの傷1つ1つなのだ。
「……ユーリ?」
不意に名前を呼ばれて。ハッと我に返ってみると、その手はレイヴンの左肩の傷へと触れていた。
ユーリは慌てて手を離して、それから気まずそうに視線を彷徨わせる。
「あ、いや……何でもない。」
「はは〜ん、さてはおっさんの肉体美に見惚れてたな?」
俺様って罪な男…と呟いて。その後、来るであろう突っ込みを待っていたのだが。一向にその突っ込みが入る気配がなく。
あれ?と不思議に思ったレイヴンがユーリの方へと向けてみると。そこには真剣な表情をした、彼の姿。
「見惚れてた…か、そうかもしれないな。」
予想外なその言葉に、レイヴンは驚きに目を見開くが。ユーリはそんな彼の反応などお構いなしで、今度は彼のお腹にある大きな傷跡に手を伸ばす。
「この傷の1つ1つが…あんたが今まで生きてきた証なんだと思ったら、さ。」
「生きてきた証…ね。確かに、そうかもしれないわ。」
この傷の1つ1つが自分にとっては辛かった過去、苦しかった過去を思い出させるものばかり。決して捨てることのできない、己が背負っていかなければならないものたちなのだから。
「決して逃れることのできない、業…みたいなものね。」
「業…。」
「ほらほら、こんな傷跡なんて見たって気持ちのいいものじゃないでしょ?」
皆待ってるだろうし最後に軽く浸かって上がっちゃいましょう、と触れている手を外そうとしたが。逆に、その手を掴まれる。
そして、腕の傷跡に触れる、彼の唇。
「ちょ、せ、せせせ青年!!?」
突然の彼の行為に驚いて、声を上げると。今度はその傷跡に彼の舌が触れる。
ぺロリ、と傷口に沿って舐めあげられて。視線をこちらへと向けられて。その彼の視線に、腕に感じる舌の感触に、顔に熱が集まっていくのがわかる。
「俺は、好きだぜ。」
「…え?」
一体何を言って…と、訴えかけてくるレイヴンの瞳を見て。ユーリは、まるで壊れものを扱うかのような優しい手つきで彼の肩の傷跡に触れると、そちらにも舌を這わす。
「俺の知らないシュヴァーンも、レイヴンも。この傷の1つ1つに、生きてる。」
「ユーリ……。」
肩に触れていたはずの唇が、徐々に下へと移動していき。やがて、心臓魔導器と皮膚との繋ぎ目に行きつくと。その中心に一度だけ口づけをして、それからコツリと。彼の額が、当てられる。
「昔のあんたも、今のあんたも。全部ひっくるめて…。」
俺は、レイヴンが好きだ。
「……ありがと、ユーリ。」
おっさんも、ユーリのことが大好きよ。
お互い一番伝えたい気持ちは言葉にせずに。
でも、その気持ちはきちんと相手に伝わっているから。
2人は、少しだけ恥ずかしそうに笑い合うと。冷えた身体を温めるために、湯へと身体を沈めた。
その後、男のくせに風呂が長すぎる!とリタに怒られる2人の姿がユウマンジュで目撃されるのであった。
2009/03/31