<道のりは長く>
かつん、と軽い音が突っ伏している頭の上部分から聞こえてた気がして、ユーリは霞がかったような意識の中薄っすらと瞼を持ち上げた。
そんなユーリに気付いたのか、音がもう一度こんどは短めにかつ、と鳴る。なんとなく起きろというように断続的に繰り返されるそれ。
ようやくユーリが頭を持ち上げて前へ落ちてきていた髪を掻き揚げつつ正面を見ると見慣れた金髪の青年がにこりと笑っておはようと声をかけてきた。
なんだよ、と胡乱気な声を出せば相手は表情を崩すことなく「授業、終わってるよ」「あぁ、もうそんなに時間が経ってたのか」状況を教えてくる。
教授は既に退室後らしく、ざわめきが周囲を包んでいる。
学科が違い、この時間帯の授業が違うフレンがこの場にいるということは彼も終わってきたのだろうか。
ユーリがぼんやりと考えていると、相手は再び目を細めて笑う。
「授業終わったのが見えたから、こっそり抜け出してきたよ」
「……エセ優等生」
「僕は別に、優等生ぶってるつもりはないんだけど」
いけしゃあしゃあとのたまう幼馴染に、時々知り合いの某おっさんよりも性質が悪いと感じてげんなりする。
椅子を引いて立ち上がったユーリに合わせてフレンも立つと、帰るのかい?と訊ねてきた。ユーリは鞄を肩に担ぐようにして持つと、一瞬だけ視線を中空に向けてからフレンへと戻し、
「お前このあと授業は?」
「ないよ」
「じゃあ、少し付き合え」
いうなりさっさと教室を出て行くユーリにフレンは笑いながらあとを追いかけていった。
* * *
大学のすぐ傍のカフェに入り、まずはふたりでコーヒーを二つ頼む。それに追加でユーリが無言でメニューを店員へ見せながらなにかを頼む様子を向かいの席からフレンが楽しそうに見つめる。 店員が立ち去ってから、ユーリがフレンに視線を合わせた。
「…なんだよ。さっきから笑ってばかり」
「いや、ユーリが頼んだものはなんだろうなあと思って」
きっと甘いものなのだろうけど。完璧に見透かされている台詞にユーリはぐっと言葉に詰まり相変わらずこちらを見てにこにこしている幼馴染に嫌そうな顔をする。
「悪いかよ」
「全然。ただ、もしよければ君が頼んだもの、少し分けてね」
「…少しだけだぞ」
「もちろん」
渋々といった様子で頷くユーリにフレンはさすがに笑いすぎては彼の機嫌を損ねすぎると必死に笑みを噛み殺した。
ユーリが甘いものが好きだというのは極僅かに限られた人間しか知らない。そもそもユーリには知人が少ないから甘党だと知っている者がさらに絞られてくる。
別に隠すことでもないだろう、と以前いったことがあったがユーリは二十歳越えた男が甘い物好きって格好つかないだろうとぼそりと呟くように返してきた。
そこにまたフレンは愛しさがこみ上げてきたわけだが、ユーリはフレンのアピールをことごとく蹴っていた。
それでもめげずにアタックを続けているフレンも健気なようだが、ユーリがあしらう時にどこか楽しそうな顔をして実はまんざらでもないんじゃないの、とぼやいていた某おっさんの証言があるとかないとか。
程なくしてコーヒーが運ばれてきて一旦会話が途切れる。
フレンはブラックのまま砂糖も入れずにひとくち口に含みながら、ちらりとユーリを窺い見る。一方のユーリは小瓶に入ったミルクをほとんど入れてさらに砂糖もスプーンで3、4杯入れていた。相変わらずの甘いもの好きらしい彼の様子にフレンはコーヒーカップで口元を隠してひっそりと笑う。真剣な顔でコーヒーを掻き混ぜている姿が微笑ましく思えてくる。
やっと飲む準備が整ったユーリもコーヒーを口につけ、目を細めて美味しいと呟く。フレンにとっては美味しいという感覚には程遠そうなコーヒーを満足そうに飲むユーリにフレンも幸せな気分になってきた。
愛おしい相手が目の前で幸せそうだと自分も幸せになれてしまうものだ。
しばらく無言でコーヒーを啜っていると、ユーリが頼んだものが運ばれてきた。
ユーリは無表情を装っていたが、フレンには彼の黒曜石色の瞳がキラキラと輝いて見えた。
テーブルに置かれたのは量より質、といった雰囲気のケーキの盛り合わせだった。
小さな正方形のケーキが二種類。食べようと思えばふたくちで食べ終わってしまいそうなサイズだ。
ユーリにしては珍しいものを頼んでいるなとフレンが眺めていると、フォークを手に取ったユーリが口を開いた。
「……ひとくちだぞ」
「あぁ、うん」
ほら、とさっくりフォークをケーキに入れて差し出してくるユーリにフレンは先とは別の意味で意外に思い固まった。
これはつまり、シチュエーションでいえば恋人同士でやる「あーん」じゃないのか。
ユーリは深い意味も持たずにしているのだろうが、フレンにしてみれば好意を寄せている相手からしてもらっているわけだからこの状況は大変美味しい。
こちらにフォークを差し出したユーリが、どうしたと問うてきたのでフレンは慌てて答える代わりにパクリとフォークに食いついた。
急いで咀嚼し飲み込んで、美味しいよと笑う。ユーリはそれで満足なのか頷くと、自分もケーキを食べはじめた。
再び幸せそうな表情をする片思い相手に、フレンはひっそりとため息を零した。
…考えてみれば、今のが人生はじめての「あーん」だった。
フレンのもやもやする心情など知りもしないユーリは黙々と皿の上のデザートを腹の中へと納めていく。意識が完全にデザートへ向いているユーリにフレンの視線は気付かれない。
生クリームたっぷりのショートケーキを口に運ぶユーリを見てちょっとだけヤらしいことが思い浮かんだフレンはかぶりを振ってその妄想を打ち払う。もしも本人にばれたりでもしたらグーで殴られるだけじゃ済まない。
これは生殺しに近い…。フレンはがっくりと肩を落とし、はやく家に帰りたいと呟いた。
フレンが悶々としてるのを書いてみたかっただけ
2009/03/30 実は再掲・少し加筆